これは私が大学生時代にリーマンショックにより就職難になり、大学滞在中に就職ができなかったけど、奮闘し内定をもらい、就職した会社で働きそして、全力で逃げた思い出話です。
就活時期にまさかのリーマンショック
私の世代の一つ上は断崖の世代と呼ばれる人たちが会社を退職する時期で、企業は人を補充するために多くの求人を出していたので、就活しやすい世代でした。
私の世代もそのお零れがある世代で、『就活はしやすい』と大学の就職課の人が言っていたので余裕だと思っていました。
しかし、いざ就活が始まるぐらいにリーマンショックが起きました!!
大学の就職課の人が手のひら返しで、『今年は就活厳しい』と言い出しました。
それでも就活しないといけないので、就活をおこないました。
就職活動は厳しかった…
求人がないと言う割にはある程度の求人はでていたので、『思っていたのよりはマシかな?』と思っていたのですが、実際はかなり厳しかったです。
就職イベントに参加
色んな就活イベントに参加しました。そして企業の人に今年は何人採用するのかと聞くと、どの企業も同じようなことを言いました。
『今年は採用する気はない。』
質問
『じゃなぜ求人を出しているのですか?』
回答
『形だけでも求人をださないとハローワークや求人サイトに今後、本当に人が必要になったときに求人を出させてもらえなくなるから仕方なく求人をだしている。』
社会人デビューする前に社会の闇に触れてしまいました(´;ω;`)
酷い企業はパンフレットすら用意してなく、話すら聞いてくれませんでした。
これ以来、国が出す有効求人倍率は一切信用しなくなりました。
大学在中の就活はダメだった…
数えてはいませんが、100社以上受けました。
私の実力がないから内定を取れないならまだ頑張りようもあったのですが、受けた会社の採用人数を後で見てみると、ほとんどが0人でした。
社会人デビューする前から社会の荒波に飲まれました(´;ω;`)
私の世代は『就職浪人』と呼ばれる第一期生になりました。
私はこれ以上、学費を親に負担をかけれなかったので、無職のまま大学を卒業しました。
その後
私の姿を見た人はいなかった…
ではなく、諦めずにハローワークに通い→面接を繰り返しながら就活しましたよ、本当に(笑)。
そのかいもあり7月ですが、どうにか無事にブラック企業に就職できました(無事じゃなかったです。)
リーマンショックの先にたどり着いた場所、それはブラック企業!!
初の就職先は運送業の事務員として雇われました。
最初はやっと就職ができたのでウキウキで心が晴れ晴れしていたのですが、なかなかのブラック企業で今になって思い出してもいい思い出がでてきません。
ブラック企業にのココがヤバい!!①『挨拶無視られた。』
ブラック企業と言えばコレ、『パワハラ上司』です。
初の出勤日に、所長の所に挨拶しに行きました。
私は『これからよろしくお願いします。』と元気よく挨拶をしました。
するとビックリ、所長は無視してどこかに行きました。
所長ときちんと会話したのは確か、就職して三日後ぐらいだったと思います。
当時は私の挨拶の仕方が悪かったと思ったのですが、後で別の人に聞くと所長は機嫌によってコロコロ態度を変える人で、ただ挨拶したとき機嫌が悪かっただけのようです。
タダの社会不適合者の方でした、色々考えるだけ無駄でした。
その後も日によって機嫌が悪ければ、八つ当たりしてくるしパワハラおじさんでした。
ブラック企業にのココがヤバい!!②『パワハラ自殺』
出勤日一日目
所長に無視られながら(この人何故、私を採用したの?)、別の事務員の人に仕事を教わりながら作業しているとこんな会話がが聞こえてきました。
『パワハラで自殺して、その親に訴えられたのどうなったの?』
『えっ?』と思い仕事を教えてくれている人に聞くと
『去年よその営業所でパワハラで自殺したのがいる。』
と、教えてくれました。
流石は社会不適合者が役職についてる会社、ゲロ以下の臭いがプンプンします。
私はその日家に帰り、もう使わないと思ったハローワーク求人サイトで再就職のために就活を開始しました。
ブラック企業にのココがヤバい!!③『労働時間』
ブラック企業と言えばコレ、『長時間労働』です。
私の場合は、7時出勤~早くて21時退社の14時間労働です。
毎月余裕で100時間残業超えていました。
昼休憩など、仕事をしない人の尻拭いで(入社一年もたってない新人にさせるか普通?)で休憩無しで、お昼のお弁当は晩御飯になっていました。
ブラック企業にのココがヤバい!!④『低賃金』
ブラック企業と言えばコレ、『低賃金』です。
給料は基本給に『60時間分の残業含む』でした。
60時間の残業代が残業してもしなくても貰える仕組みです。
これだけ聞くと良さそうなんですが、なんと基本給額、15万円!!
フルタイム8時間×出勤25日+60時間残業=260時間労働
15万÷260時間=時給約577円!!
※コレは税引き後の手取り額ではありません。
最低賃金って難しい法律はブラック企業には理解できないようです。
ブラック企業にのココがヤバい!!⑤『感覚麻痺』
『感覚麻痺』コレが一番ヤバいです。
『住めば都』と言葉どうりブラック企業でも仕事に慣れて日々を過ごすと、異常が正常に感じるようになってきます。
ある日、友人達と給料の話をしているときに
『私は毎月残業を100時間以上しているから、手取りの給料が20万(一年目なので住民税引かれていません)あるよ。』
と、自慢したら友人達は
『うちの会社でそれだけしたら、40万ぐらいはあるよ…』
って気まずそうに言われて、始めて自分がブラック企業の英才教育にやられ、感覚麻痺を起こしていることに気づきました。
他にも働いている人間や労働環境と、まともではないことを思い出しました。
危なく、ブラック企業に忠誠誓い滅びの人生を送るところでした。
私を目覚ましてくれた友人達に心より感謝します。
皆さんも心当たりある方は、一度冷静になって考える前にブラック企業から逃げ出してください。
ブラック企業を辞めるためにしたこと
こんな所にいたら命が危ないと思い辞めることにしました。
ただ、私は上記の通り就活で厳しい思い出があるので直ぐには辞める勇気がありませんでしたので、退職するために計画を立てて実行しました。
実行その①『就活しながら働いた』
なかなか、休みがなくハローワークには行けませんでしたが、今ほどではありませんが当時でもネットで求人を探すことができたので求人を探しました。
文明の利器に大いに感謝!!
実行その②『取れる資格は取る』
やはり資格は必要です。
文系卒業の私は就活に役立つ資格がなかったので出来るだけ取得できるチャレンジしました。って言ってもフォークリフト免許しか取得できませんでした。
余談
フォークリフトの免許の取得するために、会社に出勤しない日は休暇扱いにされました。
流石メイドインJAPANのブラック企業、手当の代わりにストレスをたくさんくれました。
実行その③『勤務一年で辞める』
雇用保険を一年以上払っていれば、失業保険をもらうことができるので無収入期間をどうにか補えるので、一年は働くことにしました。
でも、一年以上は絶対に働かないと強く心に決めました。
その後、無事に再就職
結局、ブラック企業滞在中は就職は決まらずに一年勤務で仕事を辞めました。
辞めたときは、無職なるお先真っ暗より、更に真っ暗なブラック企業から解放された解放感は最高でした。
ブラック企業で使ったメモ帳をゴミ箱に捨てたときの高揚感!!
嬉しすぎて、ゴミ箱からメモ帳拾い上げる→ゴミ箱に捨てるを何度も繰り返しました。
相当、頭おかしくなってますね(笑)
祝、再就職
本当に運がよく、仕事を辞めてから一か月で再就職先が見つかりました!!
再就職して改善された点
・休日がふえた
年間80日(実際なかった、有給?それは都市伝説の中の存在です。)→年間115日(しかも有給は好きに使ってOK)
・給料アップ
年収約300万→年収約400万にアップ!!
・労働時間の激減
1日約14時間(休憩時間無し)→1日約8時間(きちんと休憩時間あります。)
年収は100万ぐらいの違いですけど、時給計算するともっと差が生まれます。
何より自分の時間が持てるようになったのが本当にうれしいです!!
仕事だけの人生なんて絶対に嫌ですから。
まとめ
ブラック企業の思い出(恨み)は、ここでは書ききれないほどありますが、このぐらいにしておきます。
世の中、仕事をすぐに辞めるのダメと言う風潮がありますが、ブラック企業で一生を終える必要はありません。逃げれるときに全力疾走で逃げるべきです。
なかなか辞めれないのは、次の就職が難しいと思うからだと思います。
それならば、お金の勉強して、投資をして、副業して会社への依存度を無くす必要があります。
そうすれば、ブラック企業みたいな会社に辛い思いをして働く必要はなくなってくると思います。
だからこそ、私はこれからも色々勉強してFIREを目指すように行動していきます。
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